ユーザ工学入門

今回はちょっと横道に逸れます。ここまで入り込んでも、実際にやることには必ずしも関係しないとみることもできるからです。しかし、それでも活動の基礎としての考え方というものは大切だという見方もあるわけで、そんな理由でちょっと横道という次第です。


ユーザ工学の目標についてです。前回ISO9241-11を引用して、有効さ、効率、満足度という目標基準があることをお話ししました。で、それって結局何のためなのか、ということです。目標というものも階層構造になっていると考えることができるでしょう。それと、木構造の形に概念を整理したがるのは人間の認知のサガともいえるでしょう。そんなわけでルートノードを考えてみたら、というわけです。


ユーザビリティという概念には近いものとして利用品質という言い方があります。これは品質管理とか品質工学という分野の言い方で、いろいろな提案がありますが、そのうちの一つ(ISO9126)では次のような形に整理され、そこでは使用性としてユーザビリティという概念が用いられています。


品質特性(quality characteristics)
┣━━━機能性(functionality)
┣━━━信頼性(reliability)
┣━━━使用性(usability)
┃ ┣━━━理解性(understandability)
┃ ┣━━━習得性(learnability)
┃ ┗━━━操作性(operability)
┣━━━効率性(efficiency)
┣━━━保守性(maintenability)
┗━━━移植性(portability)


このような形で「品質」という概念にまとめあげる方向が一つあるわけです。ただ、そこでさらに気になるのは、じゃあ何のために品質を良くしようとするのか、品質を良くすることで何がどう変わるのか、ということです。


一つの考え方として、使用する人工物の品質を向上させることによって生活の質を良くしていこうというものがあると思います。いわゆるQOLですね。じゃあそれで落ち着いたかというと、いや、高いQOLの生活っていったいどういうものなんだという話がでてきます。1989年にWHOが提唱した時には、それはいわゆるterminal careの文脈におけるものだったと思います。その文脈では人間らしく生きるためのminimal requirementを満たすことが目標になっていたともいえるでしょうが、与えられた制約条件の中でmaximumな生き方ができることを目標としていた、と言ったほうが適切でしょう。ただ、現在ではQOLという言い方はもっと広い一般的な意味合いで使われているように思います。


で、単なる言い換えにすぎないのかもしれませんが、僕は高いQOLの生活というのは、ユーザ工学の観点からすると、意味のある生き方、意味の感じられる生き方、もう少していねいにいうなら「目標を有効に効率的に満足できるように達成することによってそこに意味を構築すること」ができることじゃないかと考えています。


ここで類似の概念としての意味と意義の違いがちょっと気になります。


  • 【意味】
  • (1) 記号・表現によって表される内容またはメッセージ。
  • (1-1) 特に言語表現によって表される内容。
  • (1-2) 言語・作品・行為など、何らかの表現を通して表され、またそこから汲み取れる、その表現のねらい。「何を言いたいのか―が分らない」「―ありげな笑い」
  • (2) 物事が他との連関において持つ価値や重要さ。「そんな事をしたって―がない」

  • 【意義】
  • (1) 意味。わけ。言語学では、特に「意味」と区別して「一つの語が文脈を離れてもさし得る内容」の意に使うこともある。
  • (2) 物事が他との連関において持つ価値・重要さ。「参加することに―がある」

両方とも広辞苑での定義なのですが、(1)についてはこの定義ではわかりにくいです。フレーゲについて説明したサイト別ウインドウが開きますの方がはるかに明解でわかりやすいと思います。


ただし、今回使っているのは(2)の方でして、そうなると広辞苑の定義では全く同じになっている。んー、それでいいのかな、という気がします。結論から言うと僕はユーザビリティは、目標達成に利用する人工物の利用品質を向上させることにより生活の質を向上に寄与し、さらに利用者に意味のある生活、意味が感じられる生活を可能とさせることじゃないか、と考えているのです。その場合は意義という言葉じゃ座りが悪いような気がしています。


ちょっと細かい路地に入りすぎてしまったので簡単に言ってしまうと、意義という概念についてはある価値規範への適合性が問われるのではないかと思います。それに対して意味というのは(ユーザ工学的にいえば)それが目的に適合的であったかどうかによって成立する概念じゃないかと思います。有意義な生活とか意義ある生活というと、何かちょっと堅苦しい感じがします。それは価値規範が見え隠れしているからではないかと思います。これに対して意味の方は目的の有効で効率的で満足できる達成によって構築されるものです。


たとえば犯罪者にとって人を殺すという目的に対して有効で効率的で満足できるような武器であればそれはユーザビリティが高いといっていいでしょう。さらにいえば犯罪者にとってそうした人工物を使うことは意味のあること、いや極端な例をとりあげていることは重々承知ですが、そんな風にもいえるんじゃないかと思います。


まあユーザ工学では、このあたりで普段は必ずしも概念の緻密な議論はしていません。ただ、このように考えてくると、目標達成というユーザ工学的な基準からすれば、その目標が社会通念に照らして適正なものであるかどうかは問わない、といってしまってもいいだろうと思います。あえて、です。


ユーザ工学の大きな母体となった人間工学は特に戦争において飛躍的に発達してきました。その意味では倫理的な視点からみればとんでもないガクモンだ、ということになるかもしれません。ただ、その恩恵によって我々は現在、平時における質の高い生活を享受できるようになっています。この議論を展開していくと、それじゃあ戦時の生体解剖は許されるのか、というような話につながる可能性がありますが、ちょっと待ってください。ユーザ工学というのはユーザビリティを目指します。その意味ではユーザが目指す目標は社会的な価値規範から逸脱していることもあり得ます。ただ、世の中全体として見れば、ユーザ工学だけが世の中を動かしていく訳ではない。武器の発達においてユーザビリティは重要な特性ではありましたが、それをどう使うかは別に議論すればよい、いや、別に議論することが必須なのです。それと合わさることでユーザ工学は適正な発達を遂げることになるでしょう。


こうした側面は僕は工学全体に通じるものだと考えています。工学は両刃の剣を作るポテンシャルを持っているし、それを行っているのです。どう使うか、どういう社会的要請をその工学に与えるかは社会が決めることだと思います。そのための努力は人間科学が行うべきことだとも思います。(工学者は何も考えずに要求されるように技術開発をすればいいというわけではありません・・念のため。)


今回は、ちょっと脇道にそれて、工学としての「意味性」というあたりを少し考えてみました。


(第3回・おわり)


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