ユーザ工学入門

○○さん コメントをありがとうございました。


僕がユーザ工学という考え方をまとめるようになったのはようやくにして今から10年くらい前のことです。それまでは頭の中にもやもやしたものがあっただけ。ある日、これってユーザに視点を置いた工学なんじゃないかと気づき・・ってそんなことくらいすぐ気付けよぉ、と自分にいいたいのですが、まあドン亀なもんで(^_^;)・・ユーザ工学という名前を作りました。ドメインとしてuser-engineering.orgをとったり、退職したら「ユーザ工学研究所」を設立しようと考えたりして夢想にふけったりもしました(^_^;)。


それ以前の僕は、ユーザビリティに関わることだけをやっていたわけではなく、どちらかというとユーザビリティとヒューマンインタフェースの両方に軸足をおき、後者から前者に比重を移しつつあった、という状態でした。これはある意味で幸いだったかもしれません。比較的ハードウェアに重点を置いたマンマシンインタフェースから、ソフトウェアにも重点をおくユーザインタフェース、そして人工物全般を対象とするヒューマンインタフェースという具合に、僕のスコープは徐々に広がってきましたが、それぞれの時期に、ユーザビリティに「限定」した形ではなく、インタフェース全体の問題を扱うことができたからです。時にそれはCSCWというコミュニケーションインタフェースの問題であったり、メディア行動に関する分析であったり、工業デザインの方法論であったり、プログラミング支援環境の開発であったり・・・、と実にさまざまなインタフェースの問題を扱ってきました。


企業のコンサルテーションをさせていただくようになってから、そのスコープは爆発的に広がりました。必要に応じて関連する領域、たとえば品質管理やら要求工学やら設計工学やらなにやらの勉強もしました。その一貫としてこの数年は質的方法論についても勉強させてもらいました。


こうした広い経験をすることができたことはユーザ工学という、じつは本来とても幅広く奥行きのある領域、いやそうあるべき領域をうちたてることに必要だったのだと思っています。ひとつには、関連する領域を可能な限り舐めまわしてきたおかげで、こういう角度からみるとユーザってどういうことだ、こういう角度からみると人工物のあり方ってどうあるべきなんだ、ということを考えることができました。


ただ、僕の問題意識は常に僕自身の個人的発想であり、個人的視点にあります。その意味で、ひねくれていて、コンプレックスの塊で、バランスのとれた人間とは到底いえない僕のことですので、問題意識事態が曲がっていて歪んでいる可能性は常に感じています。問題意識だけでなく、そこへの取り組み方も失敗の連続です(^_^;)。まあ、「まともなひと」になりきれないって、開き直っていえば、常に悩みがある。その悩みをエイヤッともういちど問題意識に転化してしまう。そしてまた悩み続ける。かっこよくいえば、こんな感じでしょうか。かっこわるー。


話をユーザ工学にもどすと、ユーザ工学の領域における概念構築というのはあくまでも僕自身のためのものでした。だからあちこちとつまみ食いをして擬似換骨奪胎行為をくりかえしてきたのでしょう。ん、過去形になっている(^_^;)。これまた一つの問題(^_^;)。


さて、もう一度ユーザ工学に話しを戻しましょう。すぐに脇道にそれます(^_^;)。


ユーザ工学というときのユーザが実は僕自身であった、ということは上記の説明でご理解いただけたと思います。ユーザ工学をまとめることが僕自身の人生の右往左往しながらの取り組みであった、ということもご理解いただけるかと思います。そうしたユーザ工学がもし一般性をもちうる「学」になれるなら、そしてなりつつあるなら、それはとてもありがたいこと。そんな気持ちでいました。


ただ、時代も幸いしていました。インタフェース研究がMMIからUI、そしてHIへと移り変わってきた時期を、自分自身における変化としてとらえるのと同時に、研究領域における多数の研究者の問題意識の変化としてとらえることができるタイミングでもあったからです。たとえばMITのメディアラボにおけるメディア研究は、demo or dieといわれるように新規な、また時には新奇なコンセプトをデモによって示すところにありました。これはMMIからUIに変化しようという時代にはとても新鮮で、また意味のあることだったと思います。でも時代がかわり、新奇な概念よりは実質的な質の向上が求められるようになってメディアラボの研究はその存在意義を失いつつある、こう思っています。これは一つの例なのですが、同様の消長はたくさんありました。そうしたいくつもの勃興と隆盛と衰退という流れを見つめながら、傍観者のスタンスをとりつつも、当事者としての活動をそれなりにつづけるという微妙なスタンスをとりながらインタフェース研究の中ですごしてきました。


インタフェース研究がその目標を失いつつあった頃、いや、正確にいえば、たくさんの子ども達をうみだした後で、母胎としてはもう出産能力を失いつつあったといった方がいいかもしれませんが、そんな時期にユーザビリティがたちあがってきました。こうしたsynchronicityというのは不思議なモノです。世界各地でほぼ同時に僕と同じような問題意識をもった人がでてきたのです。幸い、海外に頻繁にでかけていた僕はそうした人たちとネットワークを組むことができました。これは今もって僕の大きな財産です。そして彼らと議論を行い、活動をし、そうした中でユーザビリティの活動に力を注いだわけです。彼らとは共通、ないしそれに近い問題意識があり、共通、ないしそれに近いアプローチがありました。ただし微妙に違いがあったこと、あることも感じています。その意味で、ユーザ工学は僕の独断に近いまとめ方を経てできつつあるものだといった方がいいかもしれません。


ものごとには成熟のための時期があるように思います。学問もそのひとつ。readinessといったらいいのでしょうか。ユーザ工学という概念は、ようやく数年前にその輪郭を形作ることができました。ただし、輪郭です。それを共立出版の「ユーザ工学入門」にまとめました。1999年のことです。でも、その後、中身を固める作業に注力しました。lifecycleの研究だとかvalue systemの研究だとかcross cultural issuesの問題だとか、様々なことに手を出し続けました。そんな活動の結果として、ようやく大分その中身が固まってきたかも、というのが現状です。


学問領域のライフサイクル、もちろんそれにはshort cycleとlong cycleがありますが、そのサイクルからいうとユーザ工学はすでに研究中心の時期から実践中心の時期にシフトしてきています。というか実践をしながらその足下を固める努力をしてきたといってもいいでしょう。それを感じているため、僕自身はユーザ工学をいわゆるユーザビリティ研究からもう一回り大きなものにしたいと考えています。


まあ人間、年食うと人生を論じたがるっていいますが、同じようなことなのでしょう。人間の生活における意味を扱う、なんてスタンスになりつつあるのは年食った証拠かもしれません。が、ともかく、まだまだ考えつづけるつもりです。そしてその結果はまた違った名前のもとにちがった概念化となるかもしれません。わかりません。まあ研究も人生と同じく、途中途中でそれなりの足あとを残していく、そんなもんかなと思っています。


すみません。本日はX2ということで番外編でしたm(_._)m。


(X-2・おわり)


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