HCDコラム

古道に隠れるHCD(鱗原 晴彦氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年1月号 - Vol.79)

事務局の鱗原です。日頃よりHCD-Netの活動をご支援いただきありがとうございます。今年最初のニュースレターにてご挨拶の機会を頂き、改めて皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

さて、今年の正月は鎌倉八幡宮に詣でました。干支の巳は弁財天の使いとして縁起が良いと知られていますので、鎌倉八幡宮の脇にある旗上弁財天社を目指し、金沢文庫駅より鎌倉へと続く「六国峠~天園ハイキングコース」を友人と4時間ほど掛けて歩きました。鎌倉の都は自然の要塞であり、街道の要所は切通しとなっていて有名ですが、この鎌倉古道の一部にも古を偲ばせる切通しや、それなりに険しい箇所が此処彼処にあります。
この古道を行き交う顔ぶれは、某高校陸上部のトレーニング組、市民ランナー風、家族連れ、健康志向の老夫婦、友人パーティ、犬の散歩、お正月らしくお孫さんを連れた祖父母・・・と実に多彩であり、何より多くの人がこの古道を駆け抜けて行くことに驚きました。身体能力も歩幅もスピードも異なる人々が、声を掛け合い、上手に追い越し、狭い路をすり抜けていきます。中には就学前の小さな男の子も「こんな場所を?」と思える坂を祖父母に手を引かれて登ってきます。聞けば毎週末、このようなハイカー達で賑わうのだとか。彼らは、木の根っ子や古株を活かした自然の階段、岩場が削れてできたくぼみの足場、急な傾斜の脇にある少し緩やかな迂回路を自然に選んで歩いていきます。多くの人々と長い歳月で作られた、それぞれの足跡は、まるで歩くルートを指し示すかのようです。全てが800年も前からの足跡ではありませんが、商いや祈願、多様な目的で、様々な人々が往来して踏みしめられた「次の一歩を導くマーキング」が記されているようで印象的でした。人間中心設計を広めたい私たちは、これから歩もうとする多くの産業界の仲間達に、それぞれの「次の一歩」を示せているだろうか。そんなことをふと思いながら様々な「次の一歩」の可能性を、今年もまた模索し続けたいと考えます。

UXリーダーシップ(篠原 稔和氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年2月号 - Vol.80)

ここ数年、私の活動は、HCD/UCDやUI/UXの実践を中心に据えつつも、他分野の事業ドメインへと拡張し、いわば「UXリーダーシップ」というテーマに主軸を置いてきました。2008年に「メディア事業」に参入し、私たちの分野のトピックスや新たな切り口を、イベントや雑誌・ウェブなどの媒体に載せて伝えることに挑戦しました。
そこでは、「IT分野」や、新しいサービスや製品が産み出す発信源である「ITスタートアップ分野」がターゲットでした。そして、2010年から、このテーマの重要性をもっとインパクトのある形でアピールしたい、それも欧米発でなく日本発世界の形で実証したい、という想いから、「ITスタートアップ(起業)」の機会に飛び込んだのです。当時(2010年)、HCD/UCDおよびUI/UXといった専門領域テーマに対する期待や認知度が広まる機運を、米国西海岸のシリコンバレー地区においてリアルタイムに体験しました。たとえば、スタートアップイベントにUX専門家がゲストで呼ばれて積極的な交流が行われたり、UX中心のアプローチで成功した実務家たちが自らのケースをメソッドにして発表したり、といった様子が日常化していたのです。まさに、私たちの専門性が、ビジネス・サービスと直結することを証明する姿を垣間見ることができました。そして、「UI/UXの重要性はわかったが、もっと手軽にできないものか」「予算とスケジュールのない組織が採用すべき手法やステップはどれなのか」といった、スタートアップのリーダー達の切実な要求が溢れだし、それらが自らの課題としても突きつけられたのです。

ここで起きていた確実なニーズは、「リーンスタートアップ/リーンUX」「アジャイル開発/アジャイルUX」といったフラッグを皮切りに、おそらく今後もさまざまな名称に代わりつつも、スタートアップや新規事業から既存のサービスや製品開発に至るまで、さまざまなサービス・製品開発の工程において定着していくに違いりません。その要諦は、「顧客開発(Customer Development)」を製品・サービス開発の一工程に位置づけるのではなく、製品開発と並行して行うべき柱として強調することにあります。そこでは、ユーザーリサーチを含むユーザー工学の数々の知見に加え、市場やビジネスを捉えるスキルとの融合こそが求められてきます。その流れのまっただ中でスタートアップを率いていた私は、「専門領域のカタログ化・身体化・状況に応じたパフォーマンス」といったスキルに加えて、企業や組織をとりまく「各種ステークホルダーへの期待・理解・満足を得ていく」といったことこそが、成功のための条件となるのを体験しました。これらはまさに「UXリーダーシップ」の与件である、と確信しています。

私たちの分野の価値そのものの更なる醸成と、「UXリーダーシップ」を産み出す土壌としての「コミュニティ」の存在は、これまで以上に重要な基盤となっています。私は今後、これまでの自分の経験を最大限に活かし、この分野でのあらたな貢献の方策を探っていきたい、と決意しています。

SUICA(山崎 和彦氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年3月号 - Vol.81)


僕が優れたユーザー体験を感じることの一つに、SUICAがあります。これまでは、駅で行き先の値段を調べて、現金を準備して、改札に並んで切符を購入していたことが一挙になくなりました。特に、僕はいろいろな場所にいくので、JR・私鉄・地下鉄を乗り継いでいく場合に、どのように行くのか考えずに、まずは最寄りの駅の改札に飛び込めるのがよいです。

このSUICAは、使い手にとってうれしい、企業にとってうれしい、社会にとってうれしいという三方よしができているのではないかと思います。使い手にとっては、簡単、ルートを決めずに乗車できる、目の見えない人やお年寄りにもとても便利などいいことがたくさんあります。企業にとってうれしいことでは、駅での改札作業削減、顧客情報獲得、顧客囲い込みなどがあり、社会にとってうれしいことでは、切符の削減、混雑の削減、エコへの貢献などがあります。

しかし、ユーザー体験という視点で見るとまだまだ課題や可能性があります。たとえば、パソコンや携帯の乗り換え情報との連動、改札へ入る前と入ったあとのユーザー体験の向上、電車なかでのユーザー体験での向上などにもSUICAの可能性はあります。ユーザー体験を考慮すると、デザイン対象は、ハードウェア、ソフトウェア、ヒューマンウェア、サービスなど多様な対象物に広がっていきます。

その連携をどのようにとっていくのかが課題です。

操作音のデザイン(安藤 昌也氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年4月号 - Vol.82)


最近、共同研究の一環で銀行内にあるATMの操作状況の行動観察を行うことがあった。朝9時から午後3時まで、1時間おきに30分ずつ来店者の状況と操作時間やその様子などを観察するという、なかなか過酷な調査だった。一日中ATMコーナーに立ってわかったことがある。それは、操作音がとても無機質でうるさい、ということだ。

私自身がユーザーとして使っている時は、操作に1分もかからないため、さほど操作音が気になるということはない。だが、20台以上も設置してある店舗に一日中いると、操作音のデザインが設置環境を考慮していないことに気づかされる。

そんな時、あるコンビニに設置された富士通製の最新式の店舗型ATMを操作する機会があった。何気なくお金を引出したのだが、すばらしくエレガントだった。操作音だけでなく、カードや現金取りだし口へといざなうイルミネーションなど、GUI以外のインタフェースのデザインも素晴らしく、かつてないATM体験だった。特に操作音は、なかなか文章で記述するのは難しいが、ユーザーに対するフィードバックという目的だけでなく、おそらく周りの環境にも考慮したと考えられるようなサウンドになっていた。

HCDというと、ついGUIに意識がいきがちだが、ユーザー体験(UX)という観点でみると、操作音を含めたトータルなデザインに、もっと意識を払う必要があるのではないだろうか。

優れたHCD(浅野 智氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年5月号 - Vol.83)


私は職業柄「使いづらい家庭電化製品」とか「分かりにくいシステム」「苦痛を伴うサービス」といったものにはよく目が行く。それに比べて「優れたHCD」というのは、自然と使えてしまっているので、特別意識することが無い。

またユーザビリティの定義で言えば「特定のユーザーが特定の利用状況下で」の有効さや効率になるので、私がその特定のユーザーでは無いために恩恵に浴していないが優れたものもあるのだろう

はたまた、その製品やサービスが本当にきちんとしたHCDのプロセスを通じて実現されたものなのか、それとも偶然の産物なのかも分からない。

先日あるセミナー会場で雑談中に、某デジタル印刷機メーカーの方が「うちのオフィスには、日本の全コピー機メーカーの製品が置いてあり日常的に使っている。」というお話をされた。「へぇ~、それでどこのメーカーのコピー機に人気があって一番使われるのですか?」と聞いたらば、某R社だと言う。

ちょうどその場にいたR社の方に「なぜだか分かりますか。」と聞いたところ。「うちは、昔から最初の画面に全機能が載っているからじゃないの。」との答えであった。優れたウェブサイトもトップページでサイトの構造
が見えると聞いたことがあるので、なるほどと思った。

そこで「じゃあ、これからはダメですね。」と言うと「そうなんですよ。」との返事。なぜかと言うと、若い世代はスマートフォンのUIの作法を身につけているために、前述の総覧的なUIは使いづらいのである。これからの世代は、構造を理解して自分でカスタマイズするよりも、手順で導かれることを好むようになってきているのである。世代や環境によってもUIの作法が変わり、一世代前には優れたものであっても一挙に使いづらいものになる可能性がある。

そういう話をした直後に、2012年1月のラスベガスの家電ショーで韓国メーカーからスマートフォン式のインタフェースを持った白物家電がどっと出て来たのであった。

「優れたHCD」は、世代、環境、学習など様々な要素が絡み合い、私にとって優れていても隣の人には使いづらいという大変厄介なものなのである。それを、自分が開発する製品やサービスに反映しようと思うと、今までよりも更に緻密なユーザーの観察が重要になってくるのである。

優れたHCD(伊藤 潤氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年6月号 - Vol.84)

実は、私は現役のアルペンスキーレーサーです。とはいえ、幼少よりオリンピックを目指して戦ってきたわけではなく社会人になってから趣味としてレースに参戦するようになったという経歴です。子供ができてからは、毎週末スキー場とか、毎年スキー板を新調するなどという道楽状態からは脱しましたが…

ということで、最近のスキー板は、ユーザーの利用目的に応じて進化や分化が凄いんです!これぞHCDの事例です、とか熱く語りたいのですがかなり特殊な話題なので止めておきましょう。代わりに、優れたUXを得られるスキー場として野沢温泉スキー場を紹介したいと思います。

何年か前から、家族スキーで行くようになり、その魅力を再発見・再認識しました。野沢温泉村という経営母体が、村民の事、訪れる客の事、自然環境、全てがWin-Winになることを意識して優れた運営をしているように思えます。どんな経営をしているのか聞いてみたいですね。

[スキー]広大なゲレンデで、雪質も良い。緩斜面から急斜面まで、圧雪されたバーンから、ふかふかの深雪。多種多様なコースを楽しむことができます。広いスキー場巡りも楽しいし、気に入ったコースをひたすら堪能するも良し。晴れたときに見える遠くの山々や、雪をまとった木々を楽しめるのはもちろん、吹雪に凍えて自然の厳しさを味わうのも、これもまた後には印象的な思い出ですね。

[宿]いわゆる高級リゾートホテルがドーンとあるわけじゃありませんが、高級温泉旅館から民宿、ペンションなど、さまざまな形態の宿がこだわりのもてなしを提供しているように感じます。気に入った宿を見つけて定宿にすることができると、敷居が下がって、何度も通いやすくなります。
次はどこにしよう!と選んだり出会う楽しさを求めるのも楽しそうですね。

[温泉]言うまでもなく、素晴らしい泉質の温泉で、癒されますよね。宿ではなく、わざわざ外湯に向かう事で、温泉街を巡る楽しさを、自然と発見し、楽しみ方の幅を拡げることができるようになっています。有名な大湯の周辺の雰囲気、あのワクワクさせらる雰囲気の秘訣はどこにあるんでしょうね。

[季節]スキーヤーなので、12月~5月前半の雪のある季節しか知りません。真冬はもちろん楽しいですが、好きなのは春先、雪が溶けてきて、夏には高い位置にあるはずの道路標識が露出してくるのを見て、こんな高さまで
雪が積もっているんだ!を実感するのも楽しいですよ。ゴールデンウィークの時期もお奨め、スキーは雪のしまった午前中で終わらせて、午後は温泉めぐりしたり、麻釜でゆでたこごみや温泉卵を楽しんで、一杯!楽しいですよ。まだ未体験なのが夏、雪のない高原も、新たな自然を楽しめそうです。

昨年の夏休み、志賀高原に行って、夏はこうなってるんだ!自然の中の散策も楽しいね、と再発見体験をしたばかりですから。恵まれた自然環境と素晴らしい温泉という資源を、訪れる観光客にどう価値として提供するか、
そして村民の利益をきちんと確保するか。

きちんと考えて作り上げ、維持している所が素晴らしいですね。


優れたHCD(辛島 光彦氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年7月号 - Vol.85)

優れたUXを提供できる製品やシステムが世の中に溢れるようになるためには、情報系の学部においては、将来SEになる学生にHCDやUXを本当に理解してもらい、その重要性を実感してもらった上で社会に飛び立ってもらうことがHCDやUXに携わる教員の役割の1つであるような気がしている。

私はユーザビリティを向上させるためのアプローチについて、製品、プロセスの両面から担当科目の中で解説しているが、製品アプローチについては、製品やシステムの実例を示しながら改善点や改善案を示すことが可能なので、学生に比較的イメージを持ってもらいやすい。プロセスアプローチについても、HCDに関連する個々の手法については演習を加えることによりある程度体験しイメージを持ってもらうことができていると思われる。

しかし私の科目ではHCDのプロセスそのものが実際現場でシステム設計、開発工程にどのように関わっているかを体験してもらうことができない。そのため学生にHCDの重要性や設計、開発工程における位置づけについて理解し、イメージを持ってもらうことが難しいのが悩みである(工夫をされて解決されている先生方も沢山おられると思うが)。

最近、研究室に配属された3年生が某社のインターンシップ募集案内を手に「これが講義の中で聞いていることの実際の開発現場での活動の体験にあたるのでしょうか?」と質問してきた。そのインターンシップはサーバー、ストレージ、ミドルウェア開発を行う部署の「ユーザエクスペリエンス(UX)設計の体験」というものだった。まさに将来SEになる情報系の学生がHCDと実際のシステム設計、開発工程との関係について体験でき、私の科目で欠けている体験を補完してくれるものであった。

このようなインターンシップが沢山存在するならば、是非学生たちに紹介したいと思い、大学に送られてきているインターンシップの募集案内を調べたところ、残念ながらその種の募集はほとんど無かった。ネット検索してみると、組込み系、業務系でもmeb系に比して数は少ないものの、いずれの業界でもHCDのプロセスを活用した製品、システム、アプリケーション設計、開発などを体験出来そうなインターンシップが提供されていた。今後この種のインターンシップを多くの情報系の学生が体験することは「優れたUX」を創造できるエンジニアを育成する上で非常に意義深いことだと思われ、情報系の学生向けにHCDやUX設計を体験できるインターンシップがますます多く提供されることを期待して止まない。

恐竜展(和井田 理科氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年8月号 - Vol.75)

毎年夏になると各地で『恐竜展』なるものが開催されます。私は首都圏の恐竜展はほぼ毎年見に行っています。かなりの恐竜マニアです。恐竜展に行くと大抵の場合は、観覧時間1時間半・併設ショップで土産物探し30分の2時間コースになります。そのマニアな私、今年、幕張メッセで開催されいていた『恐竜王国2012』はあっという間に観覧だけで2時間超、かなり見応えがあったと感じました。あとから考えてみると、ユーザー体験を考慮した展示設計だったのではないかと思います。

その昔、恐竜展といえば、目玉になる大きな化石(組立骨格)がどーんと来日して、展示会にいくと、エントランスでその他の化石でじらされてからメインホールで目玉を拝んで帰る、というようなものでした。近年の展示会は、恐竜の誕生から絶滅までの時間軸に沿ったストーリーで構成されるようになってきてます。その中には、目玉化石のみならず、生態や生息環境の復元、気候変動や鳥への進化など現代につながる何かが埋め込まれて
います。

今回の幕張の展示も例に漏れず、黎明期の中生代三畳紀から始まり鳥におわる構成でした。会場に入ると、冒頭、CG映像で肉食恐竜と草食恐竜が戦っているシーンが上映されていました。よくある手です。が、コンテンツ終了後、明るくなると紗幕の奥に今登場した恐竜の全身骨格が置かれています。放映時間は人の流れが止まるので、

通常はそのあと次のコーナーがどっと混みますが、紗幕の恐竜に吸い寄せられる人もいるので、流れが緩和します。なにより、何も映っていない白いスクリーンに醒まされることなく続けて恐竜の世界へ入っていけいます。
首の長い草食恐竜の展示では、実物の高さに頭と首だけの復元模型が4種類配置され、その下に頭骨と歯の化石が置かれていました。にゅーっと伸びた復元模型は人の気をひきます。同じように見えるこれらの恐竜もちょっとずつ歯の形が違い、食性が違い、そのため顔も違うのですが、それを説明するのにとてもわかりやすくおもしろい展示でした。

中盤は、「じゃれあう」「戦う」など動きのある形に組み立てられた骨格標本で盛り上げ、終盤は恐竜ロボットを使った身体ゲームのコーナーや模擬化石発掘体験など体を使った遊びができるようになっていました。体験コーナーは結構列ができていました。
子供は動くものが好きです。一世を風靡した恐竜ロボットですが、CGが精巧になってきた今、その動きは「動物」というより「おもちゃ」に感じてしまいます。でもゲームに使うとはうまくやったなと思いました。また、会場は通路が広くとってあり、組立骨格を四方から見る、スロープを登って恐竜の目の高さから見るなど、いろいろな見方ができるようになっていました。

展示の最後に、古生物復元画の画家の原画が展示されていました。アートとしても結構なクオリティです。

恐竜展の設計は「演出」といってしまえばそれまでなのですが、今回の展示は科学的な研究成果の発表と見世物的なあざとさのバランスをうまくとるために、子供から大人のマニアまでのいろいろな視点での展示体験の検討をした結果のような気がします。飽きて泣き叫んでいる子供も見当たらず、マニアな私も満足しました。

どこかにこの展示会用のCustomer Experience Mapがあるのではないかと踏んでいるのですが、実情はどうなのでしょうか。気になります。但し、プロモーションは「見世物」側面が強調されていて、本物感が薄かったのが
残念です。

なお、展示会って混雑していて楽しめないと思っている方、15時以降を狙ってください。子供連れのお客さんはスタートダッシュが早いようで、15時頃にはだいぶひけてます。夕方に行くとお子様たちに遠慮することなく、じっくり展示物や展示会場を眺めることができる確率大です。

マニュアルの一眼レフカメラ( 岡田 明氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年9月号 - Vol.76)

私はUXのデザイナーでも専門家でもありません。UXについて知るようになってからそれ程の月日も経ていません。そのため、それについて語るのはとてもおこがましいことと恐縮しておりますが、にわかにそういう状況に
陥ってしまったため、今思うところを言葉にしてみました。そのため、ピント外れな部分があるかもしれませんが、その場合はお許しください。優れたUX事例として、とりあえずマニュアルの一眼レフカメラ(のような
もの)を挙げてみたいと思います。なぜ一眼レフカメラなのか、それはこの後お話します。

専門は人間工学、特に機器の操作などを中心としたヒューマンインタフェースを研究の対象としています。その立ち位置から最近のヒューマンインタフェースを眺めると、ひとつ憂慮にも似た思いを抱くことがあります。それは、いわゆる五感による操作のフィードバックが乏しくなっていることです。タッチパネルはその典型的な例です。

GUIとの組み合わせにより、分かりやすく楽しく素晴らしいインタフェースは次々に生まれているものの、その一方でヒトおよび生物一般が固有に持っている幅広い感覚を介することなく、視覚を中心に極めて限定されたものに狭められていきつつあります。もちろん聴覚フィードバックやジェスチャーによる入力も一部取り入れられてはいます。また、ユーザの認知的な体験を強化する試みもなされつつあります。しかし、感覚的な体験という点ではむしろ違うベクトルに向いているような気がします。

いわゆる“手ごたえ”がなく、ほとんど視覚に依存するヒューマンインタフェースは、ヒューマンエラーや視覚的負担の増加にも繋がります。そのため、触覚などの体性感覚フィードバックの有効性やそれを積極的に取り入れるための研究や応用も最近増えてきました。そのことに関連して、以前うちの研究室の卒論生が次のような実験を試みています。

電圧の変化で硬さ(粘性)が変化するER流体という物質があります。それを本体に付加した携帯電話がつくられたと仮定してみてください。その上で、相手から送られてくるその硬さの触感情報も加味しながら文字に表れない感情や微妙なニュアンスを伝えるメールのやり取りの可能性について検討した実験です。実際にはER流体を用いることが困難なため、硬さや弾力性の異なる数種類の触感サンプルを用意します。実験参加者は携帯で仮想の相手に所定のメッセージを送り、指定されたサンプルを握りながら、それに対する返事を読みます。たとえば、昼ご飯のピザが届いたよ」というメッセージを相手に送った直後に「すぐ行きます」という返事が来ます。その際に、弾力があり柔らかいサンプルを握りながらそれを読んだ時にはほとんどの参加者は、相手は嬉しい、楽しみにしていたと感じている、と捉えます。それに対し弾力のない硬いサンプルをりながらそれを読むと多くの参加者は、相手は作業を中断されたと思っているのではないか、というマイナスの印象に受け取る傾向にあります。他のメッセージについても同様の効果が認められ、触感情報を加えることにより言外のメッセージをある程度伝えられる可能性が示されました。その他にも入力ボタンに力覚フィードバックを与えた方が操作の記憶が促されることや、そうしたボタン押しに快適性や確実性を与える適切なクリック感の条件があることも分かりつつあります。これらは触覚や運動の感覚を含む体性感覚という身体的な体験に結びつきやすい最も基本的な感覚フィードバックの例です。それに限らず様々な感覚の組み合わせによるインタフェースも、よりよい操作パフ
ォーマンス、よりよい操作感覚を実現してくれます。そしてよりよいUXを提供してくれることにも繋がるはずです。

以上の流れでいえば、少なくとも機器操作に関しては「これがまさに優れたUX事例だ」と呼べるものが現実にはなかなか思いつきません。しかし、○○のようなもの、という表現でお許しいただけるならば、やはり五感を駆使した操作系ということになるでしょうか。それはむしろ一昔前のアナログ機器の中に見出すことができます。そのひとつの例が冒頭に挙げたマニュアルの一眼レフカメラのようなものです。目で見て、指を微妙に動かし、音で判断し、手ごたえを感じながら操作していく・・・そこには優れたUXのヒントがいくつも含まれているようです。

逆にいえば、五感による感覚フィードバックが乏しくなったからこそ、ことさらにUXの考えが求められてくるのではないかという穿った見方もできるかもしれません。もちろん、これはあくまでも感覚フィードバックからみた機器操作場面に限定した一個人の戯言です。また、目的の矛先が操作自体なのか、操作の結果なのかにより見解も異なります。

いずれにしても、今後UXの技術や思想がさに発展すればより素晴らしいものが出来てくると期待しています。そしてその中で、少なくともヒトがもともと持っている優れた能力を有効に活用できる、そんな操作系のデザインがもっと提供されればと願っています。

音のユーザーエクペリエンス(UX)(早川 誠二氏)

(HCD-Net ニュースレター 2013年10月号 - Vol.77)

UXに優れた特定の製品・システム・サービスの事例紹介ではないが、音がもたらすUXについて少し触れたい。
UXというと製品・システム・サービスの使い勝手や外観デザインなどが注目されることが多いが、音がもたらすUXも要因としてはとても大きい。

製品・システム・サービスのサイン音やフィードバック音が快適と感じられる場合は、操作すること自体が快適に感じられ、操作後も良い印象が残る。また、反対にエラーのビープ音などで本当にいやな印象を後々まで残すような音もある。また、自動車やオートバイにおける音なども代表的なものである。ドアの開閉音やエンジン音などで体験する印象が大きく異なる。音にこだわって購入する人がいてもおかしくない。

公共空間での音がもたらす体験もさまざまだ。例えばだが、都会の駅におけるアナウンスやサイン音の騒がしさにはうんざりする。安全優先の親切心からなのかもしれないが、過剰であろう。かえって肝心な情報を聞き逃すことがある。海外では都会の駅でも、何のアナウンスやサイン音もなく列車が動き出すこともある。体験の違いは言うまでもない。この他にも、映像の音や、音のユニバーサルデザインなど音がもたらす印象や体験は決して小さくない。UXデザインの立場から、優れた音のデザインをしている製品・システム・サービスに対して「UXサウンドアワード」があっても良いかもしれない。

蛇足だが、私は愛煙家であり長年ジッポのライターを使っている。あの「カチン」「シュボッ」「カチン」という煙草に火をつける一連の動作の音がこよなく好きである。


HCD-Netで人間中心設計を学ぶ

HCD-Net(人間中心設計推進機構)は、日本で唯一のHCDに特化した団体です。HCDに関する様々な知識や方法を適切に提供し、多くの人々が便利に快適に暮らせる社会づくりに貢献することを目指します。

HCDに関する教育活動として、講演会、セミナー、ワークショップの開催、 HCDやユーザビリティの学習に適した教科書・参考書の刊行などを行っています。