ユーザ工学入門

いよいよISO13407の出番、と考えていたのですが、その前に、ユーザビリティ新時代以前の歴史をトピック的にざっとおさらいしておくのもいいかなと思いました。日々考えが変わる「柔軟な、柔軟すぎる」私なのです(^_^;)。ふにゃふにゃです。もにょもにょです。さて、真面目にっ。


ユーザビリティが語られ、人々の焦点になる以前は、いわゆるインタフェース研究の流れがありました。ここでは、3回のミニ連載として、マンマシンインタフェースの時代、ユーザインタフェースの時代、そしてヒューマンインタフェースの時代について、それぞれを代表するようなトピックスをご紹介し、いったいどんなことがやられてきたのかについて、少し具体的なイメージを持っていただきたいと考えています。


マンマシンインタフェースの時代を代表する学問は人間工学です。ただし古典的人間工学といった方がいいでしょう。最近は人間工学もずっとモダンになってきていますから。


人間工学的なインタフェース研究の典型として、入出力装置の研究をとりあげることにしましょう。機器やシステムへの入力装置としてはキーボードに代表される文字入力や制御のためのハードウェア、マウスに代表されるポインティングデバイス、そしてCRTやLCDなどの表示装置があります。テキストや制御情報をシステムに入力するためには、音声認識や文字認識、画像認識などの認識技術を使ったやり方などたくさんの種類がありますが、ここではキーボードに限りましょう。


私は日立製作所の中央研究所にいたころに日本語ワードプロセッサの研究をしていました。入力方式の研究もその中の一つでした。そこでワープロの入力方式をどうするかを決めるために、いろいろと調査をしました。


それまで日本語の入力には漢字タイプライターとか日本語タイプライターといわれる機械が使われていました。活字が埋め込まれた盤面の上に前後左右にスライドする装置がついていて、所望の文字のところでレバーを押すとガッチャンと一文字が打鍵される。そんな代物でした。活字ですから当然裏返しに刻印されてます。だからそれを見ながら打つべき文字を探していたのではむちゃくちゃに時間がかかります。そんなわけで、この入力方式はプロのもの、とされてきました。一般の素人には到底使いこなせないようなものだったのです。文字をきれいに印刷したいという目標はあっても、手段のバリアのために、目標を達成できない状況が続いていたわけです。


そこにマイクロコンピュータチップを使ったワープロが登場してきました。というか、マイクロコンピュータの力を使ってそれをもっともっと一般の人に使いやすいものにして、オフィスワークの効率化を図ろうという考え方が盛んになりました。そう、OAとかペーパーレスといったコンセプトが謳いあげられた、そんな時代だったのです。日本語ワープロなら、修正も簡単だし、複数印刷もすぐできるし、一度作成した文書を保存しておいて再利用もできる。ユーザにとってのメリットは絶対的に大きい。だから日本語ワープロは確実に大きな市場を形成するだろう。しかし、その日本語ワープロをもっと一般の人にも使いやすいものにするためには、まず入力方式をなんとかしなければならない。ガッチャンでは駄目なわけです。さてどうするか、というわけです。


当時はパソコンの台頭時期で、キーボードを備えたマイコンとかパソコンを見かけるようになりました。僕は将来は必ずやキーボードが主流になるだろうと直感していたのですが、当時の風潮としては、いやキーボードなんてプロのもの。あの配列を覚えるなんて素人にはどだい無理。だから漢字や英数字がマトリクス状に並んでいるパネルを見ながら欲しい文字のところでチョンとやる漢字タブレットという方式の方がいいのだという意見が相当強くはびこっていました。ようするに人に優しい(易しい)入力方式、ということです。漢字タブレットはたしかに誰にでもすぐに使えます。練習すればある程度は早く打てるようにもなります。ただ、問題は、一般的な用途の場合で3000字くらいある日本語の文字の中から欲しい文字を探すことが必要なため、入力速度はある水準で確実に頭打ちになる。高速入力は無理だったのです。そこで私は入力方式の比較実験をやりました。学生アルバイトの皆さんに毎日研究所にきてもらい、違った方式で同じ材料を入力し、練習をしてもらったのです。その結果、キーボードは最初のうちこそ速度が上がらないけれど、少し、おおよそ一週間もちょっとまじめに練習すればぐんぐんとスピードがあがり、簡単に漢字タブレットを追い抜いてしまうことが確認されました。しかし、それでも根強い固定観念を払拭することは困難でした。結果として、日本語ワープロには漢字タブレット版とキーボード版の二種類を出すことになってしまいました。もっとも漢字タブレット版は2,3年で姿を消してしまいましたけど。やはりユーザだって学習するし、それなりの適正な判断をするからです。


ところで、そのキーボード、実はかなり多様な種類がありました。結果的には情報処理系JISキーボードを採用することになったのですが、そのキーボード上の文字配列はかならずしも高速入力に最適化されたものではありませんでした。この配列にはカナ入力に関する歴史が関係していたのですが、そうしたキーボードがJISにまでなっているため、新規なものを開発することはためらわれました。JISやISOという規格についてはISO13407のところでお話をしますが、これらの規格に違反しても別に罰則はありません。ただ、あまり多様なものが市場にでまわってしまうと互換性がなく、A社のワープロユーザはB社のワープロを使えないということになってしまいます。ユーザを囲い込むというマーケティング戦略も考えられたのですが、やはりあまりに冒険すぎるということになりました。ユーザにはできるだけ苦労をかけないのが良いだろうと考えられたのです。ただ、ここであえて冒険をした会社がありました。富士通さんです。入力効率を熱心に研究し、親指シフトという独自の方式を考案し、製品に搭載したのです。この熱心さと決断、そして親指シフト方式のユーザを守り続けた姿勢には学ぶべきものがあると思っています。現在も親指シフト方式のユーザはある一定数存在していますが、残念ながらそれが日本を席捲するところまではいきませんでした。


さて、日本で使われているキーボードの文字配列には英字配列とカナ配列がありますが、そもそもの英字配列にも問題がありました。現在標準として使われているのはQWERTY配列と呼ばれるものですが、実は入力効率がそれよりも良いDVORAKという配列が提案されていたのです。DVORAK配列はある程度のユーザを確保することはできましたが、一度広まってしまったものはなかなか切り替えるのが難しい。人間は基本的に保守的なものだからです。そんなわけで、パソコンの文字配列をDVORAKに切り替えるフリーウェアなども存在しますが、かなり趣味的な様相を呈しています。


キーボードの文字配列を考慮するためには綿密な人間工学的研究が行われました。親指から人差し指、そして小指に至る五本の指のうち文字を打つ早さが早いのはどれか、右手と左手ではどちらが早いか、などの研究がなされました。さらに、テキストを入力するときは連続して打鍵します。その際、どの手のどの指とどの手のどの指の組み合わせが一番早いのかといった研究も行われました。基本的に左右の手の指を交代に使う交互打ちが早いこと、指では人差し指が一番早いことなどなどが分かってきました。このデータにもとづいて、既存のキーボードの限界が明らかにされたり、理想的なキーボードの提案がなされたりしたのです。要するに、キーボードの使い勝手を考えるためには、それなりの実験的研究が背景にあった、ということです。


キーボードを使って日本文を入力する際にはカナ入力とローマ字入力の二つがあります。この他に、特定のキーの組み合わせを(通常は2)打鍵すると一つの文字が入るというコード入力方式というものがあり、これだとカナ漢字変換のように変換候補から所望のものを選択するという操作が不要なため高速な入力が可能であると主張されました。私自身、日立方式というコード入力方式を開発しました。ただ、コード方式はキーの組み合わせと入力される文字の対応関係を学習しなければ使えません。その大変さと、カナ漢字変換の変換精度がどんどん向上したこともあって、現在ではカナ入力とローマ字入力に絞られる結果となったのです。


カナ対ローマ字という点では私は驚いています。これほどまでにローマ字入力が普及するとは思っていませんでした。というのも、私がやった実験ではいったん覚えてしまえばローマ字よりもカナの方が速度が速かったのです。ただ、2倍3倍も速いというわけではないのですが・・。実験者としては両方を修得したのですが、実験結果にもとづいて私は今でもカナ入力を使っています。でもローマ字入力というものにはそれなりの利点がある。カナ入力で必要とするキーの数は 50近い、それに対してローマ字入力では英字26文字のうちのさらに母音と子音のキーだけしかつかわない。キーを学習する手間ははるかに簡単なのです。その文字もキーボードの下三段にあるのに対し、カナ入力では四段全部を使用します。そしてローマ字のルールについては学校で勉強しています。英文タイプを勉強した人だったら、いやそうでなくても、ローマ字入力はとても入り口の敷居が低かったのです。そしてそこそこ高速で入力できる。だからこれほどまでに広まってしまったのでしょう。この点で僕は見通しを誤りました。ユーザというのは必ずしも最適性をめざすものではない、入り口段階での優しさ(易しさ)がいかに大切なものであるか、そんなことを学びました。


日本語ワープロでの、そしてパソコンでの日本語入力がキーボードによる入力に落ち着いてきた後でも、さまざまな入力方式が提案されました。片手で入力できるキーボードとか、右手と左手を「く」の字型にまげたキーボード、カナ漢字変換と連動して指の先と指の腹を利用した複雑なキーボードなど、ほんとうに人間の想像力は豊かなモノだと感心させられるほどでした。


さて、最近では携帯電話での日本語入力が一つの課題となっていました。あの小さな本体にフルキーボードを搭載するわけにはいきません。そこでポケベル方式といって二つの数字の組み合わせで一文字を入力する方式と、現在主流になっているあ行、か行・・をそれぞれのキーに割り付けて必要な回数だけ反復入力するやり方が提案されました。ここでもユーザの実態は私の想像を超えていました。いわゆる親指族の皆さんの入力がこんなに速いモノになるとは思っていませんでした。一見して面倒くさそうな入力方式がこれほどまでに普及するとも思っていませんでした。でも若い人たちを中心にしたコミュニケーションに対する欲求の強さは、そうしたバリアを軽々と乗り越えてしまいました。人間のモチベーションを掴んだインタフェースは普及する、こう学んだ次第です。


あ、もうかなり書いてしまいました。キーボードの話をしはじめたら一冊の本がかけます。だからここでは人間の基本的性質とそれに適合した入力インタフェースとしてのキーボードの関係に話をしぼったつもりです。それでもまだ十分には書き切れていませんが、とりあえず、こういう形で人間の身体的特性や動機付け、学習特性などに関する知見がマンマシンインタフェースの研究に関係していたのだ、ということを書かせていただいたことにしましょう。


では


(第12回・おわり)


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