HCDコラム

「HCDはSDGsと相反するのではないか」。昨今、HCDの考え方やHCDの価値を含むさまざまなアプローチが世界中で拡がるにつれて、こういった大きな誤解と直面することが増えてきました。それは、「HCD」の「HC(人間中心)」が、西欧発の「人間中心主義(anthropocentrism:アンソロポセントリズム)」で言うところの「人間中心」として解釈されてしまうことに原因があります。そもそも「人間中心主義」といった思想には、「自然環境は人間が利用するための存在である、もしくは人間がもっとも進化した存在である」(Wikipedia)といった説明もあるくらいに、ここでは、「自然」を開墾・克服する「人間」を「中心」に据える姿勢から、「SDGs」等の自然環境を重視するスローガンと「対極」にあるとする疑問につながってしまっているのです。

このような疑問に直面する度に、私たちは多少なりとも「違和感」のようなものを感じているのではないでしょうか。その違和感を払拭するために、「HCDでいうところのHCとは、「モノ中心」ではなく「(モノを使う)人間中心」という意味である」(HCD-Netのパンフレット)とか、「「技術中心」ではなく「人間(の欲求・要求を)中心」という意味である」(経済産業省の「デザイン政策ハンドブック2020」)と言って抗弁するだけでは、どうも説得力に欠けてしまいます。それというのも、「モノ」や「技術」を創り出した、まさに被造物としての「人間」を「中心」に据えてしまうと、ますます環境を破壊していくことに加担してしまうのではないか、といった詰問に応える術がありません。なぜなら、「モノ」や「技術」の進化や進歩は、「自然」を克服することに端を発しているからなのです。

こういった時、私たちに生じている「違和感」の心の奥底と真摯に向き合ってみることが重要になってきます。日本では、地震や津波、洪水などの自然災害がひとたび生じると、すべての人やその営みも、そして動物や植物も一緒になって流されてしまうことが、「人間だけが特別な存在ではない」といった自然観や人間観が培われることにつながりました。このような捉え方を、海外の友人たちに伝えようとした時に、独自の風土や文化の中で育ってきたことや私たちの国の歴史的な経緯や伝統などを振り返ってみることが、大変に有効になるのです。

たとえば、地理的な条件からくる「国土や風土」、そこから培われた縄文時代に起源を持つ共存共生するものとしての「自然」、キリスト教などの一神教に対峙して受け入れてきた「歴史」、そして、物質文明やヒューマニズムを一神教とは切り離して受け入れてきた「伝統や文化」などが、私たちのごく当たり前の「人間」観を形づくってきていたことに気づくことができます。そこでは、「自然」だけでなく「すべての他者」に対してまでも「畏敬の念」を抱く「人間」像が浮かび上がってくるのです。そういった「人間」を「中心」に据える姿勢や考え方こそが、私たちの捉える「HCD」には通底しているからこそ、あえて「人間(Human)」を「人類(Humanity)」と置き換えることや、わざわざ「脱人間中心」や「ポスト人間中心」といった自己撞着を起こすこともなく、私たち日本人は堂々と「HCD」の重要性を主張することができるに違いありません。

私は、こういった考え方を、一冊の書籍(『人間中心設計におけるマネジメント』)を執筆する過程を通じて体得することができるようになりました。当初は、「HCD」の「D」を「設計」から「デザイン」へと拡張して捉えることを通じ、HCDをすべての営みの中核に位置付けられるものとして、海外の理論と実践とを重ね合わせながら言語化することへの挑戦でした。しかし今や、HCDの中核をなす考え方は、欧米の理論や実践を受け入れるだけの時代は終わり、まさに「HCD」の「HC」に着目しながら、実はその重要性を体得している日本人の考え方を抽象化・モデル化することによってこそ、もたらせるものであるといった確信に至りました。今まさに「日本発のHCD」を世界に向けて発信していく決意でいます。


HCD-Netで人間中心設計を学ぶ

HCD-Net(人間中心設計推進機構)は、日本で唯一のHCDに特化した団体です。HCDに関する様々な知識や方法を適切に提供し、多くの人々が便利に快適に暮らせる社会づくりに貢献することを目指します。

HCDに関する教育活動として、講演会、セミナー、ワークショップの開催、 HCDやユーザビリティの学習に適した教科書・参考書の刊行などを行っています。