HCDコラム

 先日(3月初)、認知症高齢者が起こした列車事故で「家族に責任無し」の判決が出て話題になった。認知症の人の監督責任が問われた事件だったが,そもそも,事故で命を失った方が加害者で、その家族に責任を問うとはどういうことなのか。認知症とHCDの関係について考えてみた。

 事故の内容は、認知症の当時91歳の男性が一人で外出して列車にはねられ死亡し、電鉄会社側が「列車に遅れが出た」として、男性の妻と長男に約720万円の支払いを求めた。1審、2審では監督義務が妻か長男かで争われ、最高裁で、何れにも責任は無いと判断されたが…。
事故が起きた原因は、駅のホームの先端にあるフェンスの扉を開けてホーム下に降りたために列車にはねられた、というわけである。

 しかし、そもそも電鉄会社が被害者だということが腑に落ちない。ホームにはフェンスがあって線路に降りられないようにしてあるのに、それを開けてホームの下に降りたのは、その人が悪いということか。ホームのフェンスや線路に降りるために開く扉の設計の問題が全く取り上げられてないからである。

 HCDの思想では、人間とモノ・システムとの関わり合いの中で、うまく使いこなせないものがあったら,それは人間が悪いのではなくモノ・システムの設計が悪いと考える。認知症といえども人間である。人間は間違いを犯す。だから、間違っても問題にならないようにすること、物理的に間違いを起こせないようなものづくりをすることである。あるいは、万が一間違っても事故にならないように設計しておくことである。最も悪い解決法は,物理的に可能で,認知的にもやってみたくなる設計をしておいて「やってはいけません」と表示する。やってはいけないと書いてあるのにやったのだからその人が悪い、というやり方である。HCDを心得た人ならこのような間違いを起すことはない。駅のホームの設計にもHCDの思想が取り込まれるようにならなければならない。この領域にはまだHCDの考え方が存在してないのは残念である。

 この事故で責任を問われるのは事故を起こした側ではなく,事故を起こすような設計をした側にならなければ、このような事故はまた起きることは明白である。

 最近のHCDの活動では、マイナスをゼロにしても当たり前、と言うことで、積極的にプラスになるUXを求める方向に注目されがちであるが、問題を無くすための地味な課題への取り組みも忘れてはならない。


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