HCDコラム

あけましておめでとうございます(山崎 和彦氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年1月号 - Vol.67)

千葉工大の山崎です。
今年も、どうぞよろしくお願いします。
企業におけるHCDやユーザエクスペリエンスデザインを検討してくると、ビジネスとの関連に行き着きます。デザインというのはビジネスなしには存在しませんので、当たり前のことですが。最近では、ユーザー側面とビジネス側面を視覚化することで、関連する多くのステイルクホルダーに、状況を把握して適切な方向性が見えてくるということが、僕の興味の一つになっています。その一つが、「ビジネス側面を考慮したエクスペリエンスマップ」です。そして、もう一つのアプローチが「ユーザー側面を考慮したビジネスモデル」です。両方ともに、ユーザー側面とビジネス側面を視覚化して考えるというアプローチです。
「エクスペリエンスマップ」とは、対象ユーザーが時間軸という視点で、どのようなステップで、どのような体験をするのか表現したマップのことですが、このマップに、ビジネス側面を追加することで、ユーザーとビジネスの関連が時間軸で把握することができるようになります。
「ビジネスモデル図」とは、どのようにして利益をえるかという視点で、ビジネスに関連する要素を分かりやすく図式化したものですが、このビジネスモデル図に、ユーザー側面の要素をより考慮することで、ユーザーとビジネスの関連が要素という視点で把握することができるようになります。また、このようなユーザー側面とビジネス側面を視覚化は、企業でのHCDやユーザエクスペリエンスデザインの重要性を整理して、適切な戦略づくりに繋がるのではないかと考えています。このような分野もHCD-Netでディスカッションできるようになるとよいと思います。

アップルの流儀と人間中心設計(今井 拓司氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年2月号 - Vol.68)

1990年、雑誌「日経エレクトロニクス」の編集部に配属された。
当時、同誌が掲げた標語の一つに「『いかに作るか』から『何を作るか』」があった。日本の電子産業は、他国で発明されたものの改良ではなく、独自の新しい製品を生み出していかなければならない。そんな願いを込めた言葉だった。それから20年以上たった今、この主張は残念ながら誤りだったのではないかとしばしば考える。何を作ればいのかは実は誰もが知っていた。問題は、それをどう作っていいのか分からなかったことなのだ。その頃、読者の受けが抜群に良かった話題は携帯型情報通信機器だった。市場が立ち上がり始めたノートパソコンの次に来るヒット商品として、いつでも持ち運べ、どこでも情報にアクセスできる小型機器に注目が集まっていた。ソニーの「PalmTop」、京セラの「Refaro」、NECの「PCー98 HA」など、製品も次々に登場した。しかし、爆発的に売れたものは皆無だった。
当時の理想を現実の製品として世の中に広めたのは、アップルの「iPhone」や「iPad」と言っていい。あの頃の技術者に、時間を超えてアップルの製品を見せることができたら、これこそ自分が作りたかったものだと断言するに違いない。ここでお決まりの質問だ。インターネットも携帯電話も普及していない時代から、コツコツとノウハウを積み上げてきたはずの日本メーカーは、どうして後から来たアップルにあっさり出し抜かれてしまったのか。
模範的な答えは、アップルこそ特殊なのだと主張するだろう。天才・スティーブ・ジョブズの孤高のビジョンとリーダーシップが、次々にイノベーションを生んだのだと。であるのなら日本企業も、ジョブズ氏のような特異な人物を育てなければ、革新的な製品を世に出せないのだろうか。
私は少し違うと思う。確かにアップルは他社とは大きくかけ離れている。しかしそれは、突き詰めると個人の才覚というより「作り方」の差だったのではないか。
ジョブズ氏の評伝やアップルにまつわる書籍から浮かび上がるのは、ユーザー・エクスペリエンス(UX)をギリギリまで磨き上げる、偏執狂と呼んでもおかしくない姿勢だ。アップルの本当の強さは、全社一丸となってUXの洗練にあたる製品開発の体制にあるように読める。日本メーカーと大筋で一致する、将来の製品のビジョンではなく。UXを優先したものづくりが、既存のメーカーが親しんだ方法論と全く別物であることは、HCD-Netに関わる方々が身にしみて感じていることだろう。ジョブズ氏の強烈な個性が必要だったのも、製造業の常識に反する作り方をアップルに定着させるためだったのかもしれない。
私は、人間中心設計の 大きな目標は優れたUXをもたらす製品の開発プロセスをそれぞれの企業で確立することと理解している。その実現の前には、経営陣の理解を筆頭に数々の障害 があることは否めない。しかし日本でものをつくる企業が世界市場で生き残りを果たすには、この方向に舵を切るしかないのではないか。
ソニーやパナソニックといった日本の名だたる電機大手が、2011年3月期に数千億円規模の赤字を計上する見込みを発表している。一方でアップルは株式時価総額で世界最大の企業に躍進した。この対比を見て心を動かされない方がおかしくないだろうか。

完璧は人を幸せにするか(小坂 典子氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年3月号 - Vol.69)

「あーあ、また何のアクシデントもない、電車も遅れない刺激のないところに帰って来ちゃったな~」
先日UX香港の帰り、成田からの電車で若者のこんな会話を耳にしました。仕事でも生活でも首尾よく事を進めることをよしとしてきた社会人には、おや、と思わせる内容でした。
最近、メディアで日本企業の世界市場での苦戦が伝えられていますが、その理由の一つとして、完璧を求めすぎることが挙げられています。電子製品の品質やスペックだけでなく、日本の輸入業者が正確な計量を求めるあまりブラジルの食肉業者と取引中止になったり、冷蔵庫を輸出コンテナに積み込む際に横積みを許可しないことから、他国製品よりさらにコストが高くなるといったことも聞きます。米系企業に勤めていたころ、本社と日本支社の軋轢の原因の一つは品質に対する考え方の違いでした。
私も冒頭の若者のように、学生の頃日本にはないものに憧れて南米を旅しました。そこで予想外の日本礼賛に出会うとともに、人を幸せにするのは条件だけではなく、その土地の価値観に応じた心のありようなのだと知りました。私たちの常識の枠を出て日本のよさをどう他国の人の幸せにつなげるのか、ここにUXの果たす役割があるのではと思います。

新入社員教育(葛西 秀昭氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年4月号 - Vol.70)

この時期、多くの企業・団体では、新入社員教育を実施している時期だと思います。  HCD-Netの一員として、ユーザーエクスペリエンス、ユーザビリティのことが、多くの企業において新入社員教育カリキュラムに組込まれていることを願っておりますが、どのくらいの企業で実施されていることでしょうか。
私は、新入社員教育でユーザビリティの基礎教育を数年間、担当した経験があります。最初の年は、新入社員がどのように受け止めるのか、不安に思いながら実施したことを記憶しております。実施してみると、基礎的な内容とはいえ、すんなりと理解してくれました。その企業では、教育の仕上げとして、数週間かけて小規模なITシステム試作のグループ演習を実施しており、最終日には、それぞれのグループから成果発表がありました。私も発表に同席したところ、ユーザビリティ基礎教育は短時間実施しただけにも関わらず、すべてのグループがユーザビリティの考慮点について言及しており、担当した講師としてうれしかったことを覚えています。その翌年も同じであり、むしろそれが普通なのだと考えるようになりました。「鉄は熱いうちに打て」という程のこともなく、率直に受け止めてくれる時期に伝えることが大事だと、この時期になると改めて感じます。

模倣と競争ルールについて(小林 裕和氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年5月号 - Vol.71)

アップル社とサムスン社の特許訴訟(デザイン特許を含む)が世間の耳目を集めている。事業者間の覇権争いとして注目されているが、業界の新しい競争ルールの構築に資する可能性もあるので、結果を見守っているところである。いつの時代どの業界にも模倣はあり、スティーブ・ジョブズ氏は自伝本の中で、ゼロックス社で開発されたGUIをリサやマッキントッシュに応用した点を認めている。模倣することで、会社が成長し、新たな市場が開拓される。ゼロックス社は、折角開発したGUIをパソコン市場に提供していなかったので、一般ユーザーがGUIの便利さを享受できなかった訳であり、それを実現したのがアップル社であった。それでは、どんな模倣でも許されるのだろうか。
そうではない。やみくもに模倣が蔓延すると、無駄な投資が増えたり、開発レベルが低下したり、業界が混乱して秩序ある市場が形成されない事態に陥る。重要なことは、許される模倣と許されない模倣があるということであり、その線引きをどうするかが常に問われる。その線引きによって産業が発展し、結果としてユーザーのQOLが向上することになる。特許訴訟が新成長分野の競争ルール作りの礎になればよいと願っている。

本にもHCDが浸透中!!(小山 透氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年6月号 - Vol.72)

本は,読者に読まれます。ですから、出版者(=著者+出版社)は読者がより読みやすいように、様々な「ユーザビリティ」を工夫しています。

本作りでの主なファクターは、大きくは次の三つが挙げられます。 
①外装:カバー&表紙デザイン・製本様式の選択
②内装:判型設定・版面デザイン
③材料:表紙クロス・本文用紙などの選定

ここでは、これらの内で意外と知られていない「版面デザイン」を取り上げて、そこにもHCDの思想が浸透しつつあることを見ることにしましょう。まず、版面デザインの基本は,本を開いたときの左ページと右ページの状態(これを「見開き(みひらき)」と呼びます)で考える、ということです。そして、見開きの両ページに文章や図・表・イラスト・写真など(「本文(ほんもん)」)を組み込みますが、その構成要素を詳細に検討して決定します。
つまり,文章に関しては,文字の書体(フォント)・文字サイズと太さ・字詰め(1行に収める総字数)・行間・行取り(1ページに収める総行数)を決めるのです。また併せて、図・表・イラスト・写真など(これらを私は「補材(ほざい)」と呼んでいます)のサイズ・トリミング・配置などを決めることになります。
これらの中の、文字ひとつ取っても、同じサイズでもフォントが異なると随分と読みやすさの印象が変わりますし、同じフォントでも、太さ加減で印象が大きく変化するのです(近年はフォントの研究が大変進んで選択肢が大きく広がって、ユニバーサルデザイン思想による「UDフォント」なども提供されています)。
また、各行と行の間、つまり「行間」も版面デザイン上とても重要で、大変微妙なものがあります。日本語は、その文字要素(漢字・ひらがな・カタカナ・数字・符号)がすべて全角で、半角が基本である欧字とは違って、どうしても行間を広く取らざるをえません(したがって、日本語文は欧文よりも行取りが少なくなりがちで、一般に翻訳書は原著書よりも総ページ数が増えてしまいます)。そのため、デザイン上のメリハリを出しにくい、というウラミが根源的にあるのです。ですので、日本語の本で読みやすさとデザイン性の両立を図ることは、この行間の取り方に、かなり依存します。さらに、版面デザインを考える上で大変重要なもう一つの要素が「マージン」です。それは,上に述べた本文構成を見開きに組み込んだ結果に生じる上(「天(てん)」)・下(「地(ち)」)・両内(「ノド」)・両外(「小口(こぐち)」)の余白のことです。これらをどう取るかが編集者の腕の見せ所の
一つなのですが、造本に長い歴史をもつ西欧では、この研究に没頭した人物がおりました。その一人、19世紀英国の詩人ウイリアム・モリスは印刷工芸家でもあったそうで、試行錯誤の上に、出版界ではよく知られている「モリスのセオリー」を編み出しました。これは、ノドアキを1とし、天を1.2、小口を1.44、地を1.73と、ノドアキから
各20%ずつ増やす、というものです(これらの比率は、驚くべきことに黄金比にほぼ等しくなっています)。
この「モリスのセオリー」が今も本の版面マージン設定の基本ではありますが、このところ、いくつかの理由で、その取り方に大きな変化が見られます。それは、本に対する一般読者の趣向の変化、および製本技術の進展が相俟って起こっているのです。
まず、近年のビジュアル志向で本の大型化が進んでいるため、そのぶんマージンをより広めに取ることが求められて来ています。一方、本は見開きにすると中央のノド側に丸みが生じて引っ張られるため、左右ページの版面各ノド側が読みにくく(図・表・写真などであれば、見にくく)なってしまいます。ですので、これまではどうしても両ノド側に一定のマージンが必要でした。ところが最近、「PUR製本」という革新的技術が開発され、本を開いたときに、ほとんど平らに広げられるようになったのです(しかも強度が従来の「アジロ製本」の倍以上で、たいへん丈夫でもあります)。となりますと、従来の「モリスのセオリー」では1に取っていたノドのマージンを、たとえば0.5にしても、決して読みにくく(あるいは,見にくく)感じることはないでしょう。そうしますと、マージンの取り方に大きな自由性が生まれますので、紙面全体を従来よりもずっと大胆にデザインすることが可能となりました。
目下、近代科学社では人間中心設計推進機構編の「HCDライブラリー」を企画編集中ですが、そこに所収する各巻には、このPUR製本技術を用いて製本することをはじめ、版面デザイン、さらには材料選定などにもHCD思想に配慮することを構想しています。HCD会員の皆様をはじめ、大いに期待を寄せていただきたく存じます。

UX活動の企業導入を考える(伊東 昌子氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年6月号 - Vol.72)

最近は、ユーザの経験価値を重視した製品企画やサービス企画が注目を浴びはじめ、経験価値の発見手法や経験価値に基づく企画手法などが報告されるようになりました。ユーザの経験価値に基づく起業型ビジネス展開の事例も紹介されるようになりました。
それらの場で必ずといってよいほど出される質問は、大企業にユーザの経験価値に基づく設計活動を導入するにはどうしたらいいか、というものです。これまで私が聞いた回答は、おしなべて「無理じゃないか」というものでした。私としては、そういう回答は無責任のように思います。「分からない」なら、まだ了解可能かと思いますが。。
それでは、どういう方法が考えられるでしょうか。私なりに、関連する経験と理論から考えてみたいと思います。
従来、集合的かつシステムとして機能する組織体である企業に新たな学びを導入することを目指しながら、実際は、研修参加にしても、個人学習にしても、小規模のチーム学習にしても、個人あるいは特殊小集団に閉じた活動を展開させていたのでは ないでしょうか。
認知科学における幾つかの理論では、実フィールドに生活する個人はその社会環境と切り離して考えることはできないと主張しています。集合的な組織体に経験価値中心設計を導入しようとするならば、その組織プロセス、経営トップ層の関与、複数部門の協働体制、製品戦略とのリンケージなどを個人の学習と共振させるマネジメント戦略が必須であると考えます。さらに、そのマネジメント戦略を動かす企業内の部門横断チーム作りも求められるでしょう。
このようなマネジメント戦略が必須となる理由としては、外部ユーザの経験価値を重視した設計や企画を促進し製品化・サービス化するためには、まず内部経験価値を重視した活動を生起させる必要があると考えるからです。「外部経験価値(外部UX)」のための「内部経験価値(内部UX)」の発見と実行です。組織文化の変革と部門間連携の変革を抜きにして,製品の規格・設計・開発・製品化・運用といった工程の超上流から上流にいたる組織過程をどう変化させるというのでしょう。従来の協業から経験価値を志向した協働へと変化させる仕掛けが求められます。おそらく個人学習と組織学習を並行して扱うつもりで取り組む必要があるのではないでしょうか。
それでは、成功事例はどこにあるのでしょうか。それはこれからの課題だと考えます。ただ、私たちは製品評価という下流域の位置から超上流に位置するようになり、製品だけではなく組織過程そのものの変化を生み出そうとしています。そういう事例や方法論が報告されるようになることを期待したいと思います。

券売機の一覧タイプと併用タイプ(酒井 正明氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年7月号 - Vol.73)

名古屋の市営地下鉄券売機は現在3種類である.一つ目はお金のみが利用できるタイプ.二つ目はお金とマナカカードの両方が利用できるタイプ.三つ目はマナカカードの発券とその料金チャージに利用できるタイプである.マナカカードとは名古屋圏の鉄道やバスのほか、ショッピングにも使えるICカードのことである.2011年2月に登場した.マナカカードが登場する前の券売機は,最初のタイプしかなかったが,2種類に分かれていた.この2種類は,ハードの操作ボタンのみが並び全操作を一覧出来るタイプと,ハードの操作ボタンと,液晶画面に現れる操作
ボタンをタッチ操作する併用タイプに分かれた.併用タイプは,券売機の前に立つと操作可能なボタンが画面に表示された.
この2種類は,設置の時期や台数に差があり,一覧タイプが併用タイプよりも古く,数も多かった.さらに一台当たりの利用者数でも違いがあった.名古屋駅などの券売機前は,帰宅時間帯になると非常に混雑し,一覧タイプ前には6~7名の列ができるが併用タイプ前には2~3名程度であった.この利用者数の違いは何によるのか.
利用者は,古い機種に慣れ親しんでいるからなのか,機能の一覧性を分かりやすいと感じているからなのか,それとも保守的だからなのか.非常に興味深い現象であった.

ゲーミィフィケーションについて考える(鈴木 三十志氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年8月号 - Vol.74)

先日、ある回転寿司に行きました。
そこでは、皿カウンターに皿を5枚入れるたびに、注文のタッチ画面がゲームに早変りし、オリジナルグッズが当たるというサービスを提供しています。特に家族連れだと、子供が喜び、ゲームに当たらないと家族全員で悔しがって、さらにチャレンジ(注文)しているようです。

また、このサービスに対するネット上の書き込みを見ると、『景品はどうでもいいが、当たらないと悔しくなり、何回もチャレンジしたくなる』のような意見が多くあげられており、家族を引き込み、夢中にさせるほどのUXを
作りだしているように思います。

この、家族を夢中にさせるほどのUXを作りだすポイントは何であるかを考えてみると、家族でお寿司を食べることに対して、家族で共有する明確な目標(ゲームに当たる)をごく自然に与え、その達成に向けて家族で協力し合う行動(お寿司をいつもより多く食べる)をごく自然に行わせることに成功しているところではないかと思います。(家族で食べるという活動が、家族でチャレンジするというモチベーションが高まりやすい活動に変わったことがポイント)また、家族が協力し合う行動(お寿司をいつもより多く食べる)そのものが、ビジネス(注文が増える)に直結するように設計されていることも注目すべき点だと思います。

このような人を引き込み、没頭させてしまうほどのUXを作りだすために、ゲームでない分野にゲーム的手法を取り込む「ゲーミィフィケーション」というテクニックが使われています。(流行っている?)

テクニックの目的は、ゲーム的要素を取り入れることで、利用者を楽しませながら、モチベーションを高め、目的を遂行しやすくすることにあると思いますが、ビジネスの中では、利用者の習性を利用した感情をコントロールするノウハウとして、企業が意図する方向に誘導するために使用していると思います。

回転寿司の例では、ロールプレイングゲームなどに見られるような次のゲーム的手法を使い、お寿司を食べる時の行動の中で自然な流れでゲームに参加させ、ゲームの当たり外れによりチャレンジするモチベーションを高め、お寿司を食べる回数を増えるようにしています。

・進める上で自然にやり方を学ばせる(皿カウンターにお皿を入れると注文のタッチ画面がゲーム画面に変わる)
・レベルを1つ上げるような、簡単なミッションに目を向けさせる(皿カウンターに5枚のお皿を入れるだけでゲームができる)
・アイテムを手に入れるような、努力によって手に入れた時の喜びを与える(ある確率(もしくはノルマ)でゲームの景品が当たる。レアな景品もある)
・繰り返し利用されるように上記のバランスをとる(家族が食べることのできる量とゲームの景品の当たる確率のバランスをとる)

この例では、利用者にお寿司を食べる胃袋の限界があるので、過剰すぎるほどの出費には至らず、単に楽しい体験をした印象となり、利用者と企業が得る価値のバランスが上手くとれていると思います。

ただし、企業の利益追求のみを強調してテクニックを使用した場合は、利用者をサービスに引き込む仕掛けが強く働き、冷静な判断を失わせ、過剰な出費をさせてしまうような問題が起こりうるため、企業は社会性を配慮してテクニックを使用することが求められるのではないでしょうか。

また、教育の分野で期待されていることや、国内でもいくつかのサービスや製品に取り入れた事例を紹介する記事を目にします。テクニックが上手くビジネスに活かせていないように思える内容もあり、確立された方法になっていくかわかりませんが、UXをデザインするアプローチの一つとして今後も注目していきたいと思います。

呪われた部分(細田 彰一氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年9月号 - Vol.75)

私はHCDをプロダクトデザインのツールとして使っているのですが、正直ちょっとペルソナやシナリオに物足りなさを感じることがあります。

これは、バタイユの言う「呪われた部分」があまり表現されていないからではないでしょうか。呪われた部分とは、「一見合理的でないこと(蕩尽や祝祭、エロス)を喜んでやる」部分という意味です。人の深みを表現するためには、この「呪われた部分」があった方がいいなぁと思っているわけです。

我々のペルソナは合理的でない行動をほとんどしないんですよね。
呪われた部分自体も、論理的でないわけではないと思います。例えばアジモフの「われはロボット」に登場するロボット心理学のように、一見不可解な行動でも論理的に説明できることは多くあります。でも、説明しずらいことは確かで、そのために踏み込めなかったのではないかと自省します。

でも、我々の生活のスパイスとして、あるいは面白い物語の要素としては、呪われた部分は外せない部分なのではないでしょうか。物語としての面白さがゴールではないんですが、やはりせっかく物語るんだったら、わけがわからなくても面白いものを創りたいなぁ、と思う今日このごろです。

コンテクストを読む; Cultural Probeについて(松原 幸行氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年10月号 - Vol.76)

先日、オランダから来ているデザイナーと話す機会があったので、オランダのUX事情を聞いてみた。

彼女はデルフト大学の出身である。同大は地元企業のPHILIPS社やOCE社との産学プロジェクトも盛んに行っており、卒業生の多くが両企業に入社している。彼女も地元企業の一つにデザイナーとして入社し、現在はUXを担当している。彼女が話してくれたUXデザインの様々な方法論の内,「Cultural Probe」に熱心に取り組んでいる点に好感が持てた。「Cultural Probe」はエンドユーザーのコンテクストを知る方法なのだが、巧みにシステム化されており、ユーザーも楽しんで回答できる。Photo Daily法やPhoto Essay法、シール、簡単なコラージュ、地図、ポストカードなどを組み合わせてキット化するのだが、このキットの中身が実に楽しい。

数年前に産業デザイン振興会でもワークショップがあった。「Cultural Probe」はContext Mapping(Gaver、 Dunne and Pacenti)を進化させた手法で、GaverらはCultural Commentatorsというアプローチの一環としてCultural Probeについて述べている。
ユーザーがセルフフォトを撮り、図解やイラストなどを描き、それらがコンテクスト定義の一部を成すことから、Co-Design(Sanders 他)に属するものと位置づけられる。Co-Designには、1960年代にスカンジナビア諸国で発祥したParticipatory Design(Ehn & Kyng、かのPARCでもSuchmanもやっていた)、ユーザーを開発現場に招き入れるEmpathic Design(Crossley)、ユーザーにデザイン決定権を委ねるUser Designなど様々なものがある。「Cultural Probe」はその中で、キットを通じてユーザーと交流するCo-Designである。キットを送付して2週間位で回収し分析する。分析の過程でポストインタビューやミニワークショップを実施する。

さて、インサイトの引き出しには手法では解決できない難しさがある。参与観察。俗にいうエスノグラフィー調査であるが、観察といっても傍観者ではいけないし、あまり介入し過ぎてもいけない。調査方法よりも調査者の人柄で成果が左右されることもある。訪問先とのラポールをいかに早く形成できるかがカギである。また、現場に滞在すること自体が難しいこともある。ビジネスシステムでは機密も多く、そもそもユーザーの現場に入ること自体が難しい。そこで「Cultural Probe」のような『ユーザーが実施していて楽しい』という要素が重要である。

「Cultural Probe」にはマニュアルやインストラクションなどはほとんど無い。ワードレスとは言わないがレスワードであり、図や写真で回答するものが多く、プレゼントを開けるようなワクワク感もある。興味をかきたて,モチベーションをアップする。回収率にも寄与する。キットのやり取りなので接触も少なくて済む。キットを作るのは少し手間がかかるが、素材はテンプレート化すれば使い回せる。何よりもユーザーが楽しいことが大事であり、調査を超えた良い関係づくりにもつながる。

「Cultural Probe」の具体的な内容については、近いうちにHCD-Netサロン等で事例報告するつもりなので、ご期待されたし。なお、参考となるウェブサイトを2つご紹介する。
・HCIの論文:http://www.hcibook.com/e3/casestudy/cultural-probes/
・Youtube:http://www.youtube.com/watch?v=EJqpUG4pJIE

ISO 13407の改訂について(三樹 弘之氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年11月号 - Vol.77)

当機構設立のきっかけとなった人間中心設計の国際規格,ISO 13407ですが,2010年3月に改定され,ISO 9241-210という新たな規格となりました.13407が発行されたのが1999年ですから,11年ぶりに内容が見直されたことになります.ISO 9241-210は,様々な点でISO 13407に記述が追加されています.その中で特筆すべきこととして,ユーザエクスペリエンスという用語が新たに定義されたことが挙げられます.ユーザビリティという用語が国際規格としてはじめて定義されたのがISO 9241-11という人間工学規格でしたが,ユーザエクスペリエンスも,人間工学規格の中で定義されたことになります.

ISO 9241-210におけるユーザエクスペリエンスの定義は,「ユーザエクスペリエンスとは,製品,システム,またはサービスを使用,および/または使用を予想することによってもたらされる,人の感じ方や反応である.」と記述されています.ユーザビリティとの違いまでは明記されてはいませんが,ユーザビリティが主に製品,システム,またはサービスの人による「使用」に焦点を当てているのに対して,ユーザエクスペリエンスは,使用中だけでなく,使用前,使用後も対象にして,人の感じ方や反応に焦点を当てています.したがって,対象とする内容や時間の範囲は,確実に広がっています.ユーザエクスペリエンスという用語は,当初は一部の現場で用いられていたと思いますが,今では一般的に用いられるようになっていると思われます.このような用語が国際規格に取り入れられたことは,規格の有用性を高める上でも喜ばしいことと思います.今後,サービス分野で広く用いられているACSI(American Customer Satisfaction Index),JCSI(Japanese Customer Satisfaction Index)といった,使用前,使用中,使用後の満足を扱っている指標や,ユーザビリティの定義との関係が,議論されて明確に
なっていくことと思います. 関連規格として,ユーザビリティの評価結果の報告フォーマットを規定するCIF(Common Industry Format)関係の規格もISO/ IEC 25060シリーズとして作成が進んできていますので,この分野における議論や規格化の進展に,今後も期待したいと思います.

テレビCM作りにもHCD(八木 大彦氏)

(HCD-Net ニュースレター 2012年12月号 - Vol.78)

こんなところにHCDが取込まれている事例の紹介がこのシリーズの狙いですが,適切な事例が思いつかないので,狙いから外れますが,こんなところにHCDが「取込まれれば良いのに」という事例を取り上げたい.

テレビCMの世界には人間中心設計の考え方は適用できないのだろうか.最近テレビを見る機会が多くなり,テレビを見ていていつも思うことは,見たくもない,聞きたくもないCMを何度も視聴させられることである.同じものを何度も見せられるだけでも苦痛であるのに,押し付けがましい,あるいは制作者側だけの自己満足のようなCMを何度も見せられるのは我慢し難い.そんな時はテレビを消すかチャンネルを変えるしかない.テレビ視聴者を人間として人間中心設計のプロセスをこの分野にも適用できないものだろうか.CMの制作プロセスで人間中心設計プロセスのようなフルプロセスが実施されないとしても,せめて視聴者の利用状況把握や,出来たものの視聴者評価が実施されるようになれば,かなり改善が期待できるのではないだろうか.

そもそもCMというものは製品やサービスそのものではなく,それを多くの人達に知ってもらうためのメッセージであって,視聴者がそのメッセーを買う訳ではない.提供する側もメッセージを売ろうとしている訳ではなく無料で提供しているのである.と言うよりも,メッセージ制作にお金を払い,テレビ局に放映料を払っている.だから提供者はメッセージを買っている顧客なのだ.顧客なのだから提供者が満足するように制作して放映すればよい,という考え方が成り立つのだろうか.しかしCMは製品やサービスを売るためにその製品やサービスを知ってもらうための手段としてのメッセージである.最終的には狙いの製品やサービスを視聴者に買ってもらうことであるから視聴者の満足を得られなければならないはずである.

CM制作の世界にも人間中心設計プロセスが適用されるようになれば,テレビのスイッチを切りたくなるようなCMが無くなり快適なテレビ生活が出来るようになるだろう.人間中心設計はどこまで広げるべきなのだろうか.


HCD-Netで人間中心設計を学ぶ

HCD-Net(人間中心設計推進機構)は、日本で唯一のHCDに特化した団体です。HCDに関する様々な知識や方法を適切に提供し、多くの人々が便利に快適に暮らせる社会づくりに貢献することを目指します。

HCDに関する教育活動として、講演会、セミナー、ワークショップの開催、 HCDやユーザビリティの学習に適した教科書・参考書の刊行などを行っています。