ユーザ工学入門

さて、これまでに書いた内容の中間まとめとして今回はピラミッドの話をしたいと思います。といってもエジプト大好きの僕ですが、もちろんエジプトのそれではありません。マズローのコンセプトが時にピラミッド型に図示されることがありますが、同じようなことです。10年ほどまえに、ヒューマンインタフェースに関する解説記事を「情報処理」に書き、そのときに、下から、機能性、操作性、認知性、快適性、意味性という階層をもったピラミッドの絵を描いたことがあります。多少エイヤッではあったのですが、それなりには考えてのことです。その後、安全性とか信頼性とかをさらに基礎の部分に追加したりもしました。時々論文などに引用されているのを見つけると、ちょっとドキッとしたりします(^_^;)。


そろそろ真面目に書きます。


同じような階層構造はJordanも提案しており、彼の場合は、機能性(functionality)、ユーザビリティ、そして快(pleasure)となっています。モノには機能があってこそ、という意味では機能性が第一にくるのはまあ当然でしょう。次にユーザビリティが来るのですが、彼の特徴は最後に快を位置づけている点です。機能があっても使い勝手が悪くてはしょうがない。だけど使い勝手が良くっても使っていて気持ちよくなければ、楽しくなければ駄目じゃないか、というような話です。人間生活に彩りを添えるという意味で人工物における快を強調した点はそれなりに評価できると考えています。ただ、ユーザビリティの定義にISO9241-11の考え方を援用しているくせに、その中の満足感(satisfaction)と快との関係が必ずしも明瞭に区別されていない点、また快に関連して感性工学を位置づけている点、若干不満が残ります。特に感性工学が快を扱う工学分野であるという関係づけについては、たしかに感性工学はそのひとつではあるのだが、まだ成長途上の分野であって快という経験のすべてを扱っているわけではないため、却って考え方が見えにくくなってしまっているところがあるように思います。


ピラミッド構造の解釈にはいろいろありますが、私はまず土台から積み上げてゆくもの、というつもりで使っています。かならずしも手順やプロセスの順番そのとおりではないにしろ、まず土台をきちんとすることが大切だ、そしてその次を、という意味合いです。頂点まで積み上げた段階で完成、と考えています。そのようなメタファのつもりです。


基本的には現在でもあのピラミッドはそのまま頭の中にあります。もともとは日立のデザイン研究所にいたころ、人間工学が主に扱ってきた操作性に加えて、認知工学が扱っている認知性、そして感性工学(自分でまだ輪郭が不明瞭だと書きながらも)が扱っている快適性、この三つをヒューマンインタフェースの基本三原則だ、と主張し、研究所の主催するフェアでは「認操快」というキーワードになって使われたりもしました。そのココロですが、人間には体と心があり、体については操作性、心については知性と感性があり、知性は認知性、感性は快適性、と位置づけたというシンプルきわまりない考え方でした。


さらに強引にそれに順序づけをして、まず使えなきゃいかんだろうということで操作性、それがわかりにくいとまずいからと次に認知性、最後に全体経験を表現するものとしての快適性という順番を考えました。でも理解してから操作をするという意味からすると認知性、操作性という順番でも良かったように思います。ちなみに、これをISO9241-11の考え方に結びつけると、操作性と認知性によって有効さと効率がもたらされ、快適性によって満足がもたらされる、ということができるでしょう。これが旧版のピラミッドの意味でした。


ただ、こうしたユーザビリティの三側面も重要なのですが、使いやすくても安全面で問題があってはいけない。安全人間工学という分野があるのですが、そこでしばしば引用される例として、炭坑爆発事故の話があります。炭坑ではガス漏出に気をつけなければいけないため、坑内にガス探知機が設置されていました。ところがチェックのために台に乗るのは大変だということで、その炭坑ではセンサーチェックの作業の人間工学的最適化を実現するためにガス探知機は地上1mの位置に設置されていたそうです。あるとき坑内にガスが漏出したのですが、ガスの比重が軽かったため、ガスは坑道の天井近くにたまり、ガス探知機はそれを探知することができなかったわけです。そんなわけで爆発事故が起きたのです。このように、操作性に対する配慮も大切ではありますが、それ以前に安全性に対する配慮を行わねばならない。そんなことも考える必要があるわけです。


さて、最近では、このピラミッドをもう少し考えて、以下のように考えています。


土台は機能性。つまり、機能なくして何の安全性か、何のユーザビリティか、というわけです。ただし、機能を提案したり設定するためには目標適合性が必要になります。したがって、土台の部分は目標に適合した機能性ということになります。これは言い換えれば、目標に適合した機能性は、人工物のベースラインではあるけれど、それだけでその人工物は完成したことにはならないということです。目標に適合した機能であっても、安全面やユーザビリティに問題があったのでは使われないでしょうから。


次は安全性。これを位置づけたいです。安全はすべてに優先する、と工事現場にかかれているのを良くみかけますが、やはりその通りだと思います。


次は信頼性とコストで、これらはほぼ同程度にあろうかと思います。これらよりもユーザビリティを優先した方がいいのか、という気持ちもあるのですが、コストが高ければユーザビリティが高くても購入してもらえないし、信頼性が低くて故障ばかりしていてはユーザビリティが高くても仕方ない、そう考えています。


そしてユーザビリティの登場です。こまかく見ると、ここはまず認知性、操作性、そして快適性、という順番かと思います。認知性によってまずどのように扱えばいいかがわかり、ついでそれを操作して使いやすく(ここに前回指摘した使いやすさが位置づけられます)、さらに満足感を充足してくれてユーザビリティは OKというわけです。


その次に、保守性、移植性、互換性などの雑多な品質特性が位置づけられると思っています。これらは重要ではありますが、信頼性やコスト、ユーザビリティに比較すると、もう一段あとで考慮してもいいのかなと考えています。なお保守におけるユーザビリティというのは、ユーザビリティの別の側面として重要です。


最後に意味性が位置づけられると思います。意味については既に説明をしましたが、上述の特性がすべて満たされて、はじめてその人工物は意味を持つ、と考えるわけです。


もちろんピラミッドは図式です。図式には図式なりのわかりやすさという利点と、図式なりの制約による誤解の可能性という欠点があります。その意味で常にピラミッドを振り回せばいいと考えているわけではありません。ただ、ものごとにはシンボルが必要だとも思っています。そうしたシンボルとして、このピラミッドを使っていきたい。そう考えています。


(第7回・おわり)


HCD-Netで人間中心設計を学ぶ

HCD-Net(人間中心設計推進機構)は、日本で唯一のHCDに特化した団体です。HCDに関する様々な知識や方法を適切に提供し、多くの人々が便利に快適に暮らせる社会づくりに貢献することを目指します。

HCDに関する教育活動として、講演会、セミナー、ワークショップの開催、 HCDやユーザビリティの学習に適した教科書・参考書の刊行などを行っています。